井の頭の愛しの「はな子」さん
INDEX
今年の5月26日に井の頭自然文化園で象の「はな子」が老衰のため70歳を前に亡くなったというニュースを目にして悲しい気持ちになりました。実は私の手元に3~4歳の小象に乗った子供の頃の写真があり、背中にしがみつくように乗っている私に小象が嬉しそうに鼻を巻き上げ、横に立った父がこわごわ子象の頭に手をやっています。アルバムには母の字で 「泰正、象のはな子に乗る。別府にて」 とあります。
「はな子」は戦後初めてタイから日本の子供達のために送られてきた象でした。船で神戸港に着いた後、汽車に乗せられて東京の上野動物園に運ばれてきました。その後、井の頭自然動物園に移されましたが、そのころ移動動物園という各地を巡回する催しがあり、「はな子」も日本各地で子供たちを楽しませたとの記録が残っています。
私は子供の頃より写真に一緒に写っている小象はこの「はな子」に違いないと思って来ました。10年ほど前に井の頭自然文化園で還暦を迎え元気に余生を送っている「はな子」の記事を新聞で読み、是非生きているうちに会いたくなり井の頭公園に向かいました。
寒い冬の日曜日の午後で園内にはあまり人はいませんでした。薄日の射す象舎の運動場に「はな子」お婆さんが鼻をブラブラさせながら足を前後に擦るように動かしています。
私はせっかく写真を持参していたので面白半分で彼女に向かって「はな子さ~ん 覚えているか~い!」と持ってきた写真を掲げて大声で呼びかけました。すると何やら「はな子」お婆さんが一瞬私の方に優しげな目を向けた感じがしたのです。側にいた家内は「分かった分かった!」と喜んで私の肘を引っ張りましたが当の私は幼児期の私を一度きり背中に乗せた「はな子」さんが私を覚えているとは正直思えず、コンクリートの溝で隔てられたところにいる私を認識する事はあり得ないと言いました。
しかしながら家内は昔英国留学のおり、住居が見つかるまで数週間自宅に泊めて頂いたボスの家で家内と仲良しになったラブラドール・レトリーバーの子犬が15年して再訪した際に、よれよれの老犬になりながらも家のなかから尻尾を振りながら飛び出てきて嬉しそうに家内にまとわりつきボス夫婦はゲストにこんな態度をするのは初めてだと驚ろきながら「象と犬は子供の頃の記憶が永遠に続くと聞いたことがある。」とスコテイッシュアクセントで威厳あるうんちくを垂れました。感激した家内はその話を信じて事あるごとに口にしていましたが、「はな子」お婆さんを見てその話を思い出し、「きっとはな子さんもあなたの事を想いだしたに違いない。」と言います。
とりあえず私の乗った小象のはな子がこのお婆さん象のはな子さんと同一であるか確認しようという事になり飼育員の若い女性に写真を見せたところ飼育員は「私には昔の事は良く分かりませんが井の頭のはな子さんが九州に行った話は聞いたことがなく、この写真の象はここのはな子さんではないと思います。」と告げられました。
私達は人違いならぬ象違いにがっかりして家路につきましたが私どうしても納得できず色々資料をあたりましたが明確な答えは出ずにいました。しかしながら昭和25年当時、我が国に「はな子」さんの他にそれらしい小象がいたという記録はなく私は井の頭の「はな子」さんは私が乗った象と信じ、また別の機会にもっと身近で同い歳の「はな子」お婆さんに会ってみようと思っていました。そんな矢先の訃報でした。
お別れ会が催されるとの記事を見て是非お別れに行こうと思っていましたが多忙のため果たせませんでした。
さて今年も押し迫り、はな子ロスの寂しい気持ちを送っていましたがインターネットで吉祥寺駅の北口広場にはな子さんの銅像が立つ計画があり、募金を呼びかかけている事を知りました。早速心ばかりの気持ちを寄付させてもらいました。
素敵な 「 銅 象 」 が出来る日を楽しみにしています。
森 論外
理事長 弘岡泰正
今年の5月26日に井の頭自然文化園で象の「はな子」が老衰のため70歳を前に亡くなったというニュースを目にして悲しい気持ちになりました。実は私の手元に3~4歳の小象に乗った子供の頃の写真があり、背中にしがみつくように乗っている私に小象が嬉しそうに鼻を巻き上げ、横に立った父がこわごわ子象の頭に手をやっています。アルバムには母の字で 「泰正、象のはな子に乗る。別府にて」 とあります。
「はな子」は戦後初めてタイから日本の子供達のために送られてきた象でした。船で神戸港に着いた後、汽車に乗せられて東京の上野動物園に運ばれてきました。その後、井の頭自然動物園に移されましたが、そのころ移動動物園という各地を巡回する催しがあり、「はな子」も日本各地で子供たちを楽しませたとの記録が残っています。
私は子供の頃より写真に一緒に写っている小象はこの「はな子」に違いないと思って来ました。10年ほど前に井の頭自然文化園で還暦を迎え元気に余生を送っている「はな子」の記事を新聞で読み、是非生きているうちに会いたくなり井の頭公園に向かいました。
寒い冬の日曜日の午後で園内にはあまり人はいませんでした。薄日の射す象舎の運動場に「はな子」お婆さんが鼻をブラブラさせながら足を前後に擦るように動かしています。
私はせっかく写真を持参していたので面白半分で彼女に向かって「はな子さ~ん 覚えているか~い!」と持ってきた写真を掲げて大声で呼びかけました。すると何やら「はな子」お婆さんが一瞬私の方に優しげな目を向けた感じがしたのです。側にいた家内は「分かった分かった!」と喜んで私の肘を引っ張りましたが当の私は幼児期の私を一度きり背中に乗せた「はな子」さんが私を覚えているとは正直思えず、コンクリートの溝で隔てられたところにいる私を認識する事はあり得ないと言いました。
しかしながら家内は昔英国留学のおり、住居が見つかるまで数週間自宅に泊めて頂いたボスの家で家内と仲良しになったラブラドール・レトリーバーの子犬が15年して再訪した際に、よれよれの老犬になりながらも家のなかから尻尾を振りながら飛び出てきて嬉しそうに家内にまとわりつきボス夫婦はゲストにこんな態度をするのは初めてだと驚ろきながら「象と犬は子供の頃の記憶が永遠に続くと聞いたことがある。」とスコテイッシュアクセントで威厳あるうんちくを垂れました。感激した家内はその話を信じて事あるごとに口にしていましたが、「はな子」お婆さんを見てその話を思い出し、「きっとはな子さんもあなたの事を想いだしたに違いない。」と言います。
とりあえず私の乗った小象のはな子がこのお婆さん象のはな子さんと同一であるか確認しようという事になり飼育員の若い女性に写真を見せたところ飼育員は「私には昔の事は良く分かりませんが井の頭のはな子さんが九州に行った話は聞いたことがなく、この写真の象はここのはな子さんではないと思います。」と告げられました。
私達は人違いならぬ象違いにがっかりして家路につきましたが私どうしても納得できず色々資料をあたりましたが明確な答えは出ずにいました。しかしながら昭和25年当時、我が国に「はな子」さんの他にそれらしい小象がいたという記録はなく私は井の頭の「はな子」さんは私が乗った象と信じ、また別の機会にもっと身近で同い歳の「はな子」お婆さんに会ってみようと思っていました。そんな矢先の訃報でした。
お別れ会が催されるとの記事を見て是非お別れに行こうと思っていましたが多忙のため果たせませんでした。
さて今年も押し迫り、はな子ロスの寂しい気持ちを送っていましたがインターネットで吉祥寺駅の北口広場にはな子さんの銅像が立つ計画があり、募金を呼びかかけている事を知りました。早速心ばかりの気持ちを寄付させてもらいました。
素敵な 「 銅 象 」 が出来る日を楽しみにしています。
森 論外
理事長 弘岡泰正