日本昔話と高齢化社会
INDEX
お一人で住んでいる所謂独協老人が増えています。我が国では年間所得が120万円未満の65歳以上の一人暮らしの人が3割を占め、ゆとりある老後には程遠い現状です。肉体的にも足腰の老化によって歩行が困難になって家に閉じこもり、社会参加が出来ずにいるこれら多くの高齢者に対して日常生活の支援は国の重大な課題となっています。しかしながら食料・医療事情が現在からみると格段に貧弱で国家の福祉厚生行政がなかった大昔のお年寄りは果たしてどのように生活していたのでしょうか?
子供の頃、♪村の渡しの船頭さんは今年60のお爺さん,歳はとってもお舟を漕ぐときは
という童謡を何の不思議もなく歌っていましたが自分が還暦を迎えた時は、何で60が爺さんじゃ!100歳を超えた現役医者もおるというのにふざけるな!俺ならギッチラ・ギッチラじゃなくてシャッシャカ・シャッシャカ櫓を漕ぐわいと憤慨しましたが、残念ながら年月が経つにつれ心身の衰えを自覚するようになりました。
ところで日本の昔話には里山に二人きりで住んでいる「おじいさん・おばあさん」の話がいっぱい出てきますが、ほとんどの物語で主役級の活躍です。絵本で見たお爺さんとお婆さんはどう見ても後期高齢者で腰が曲がり骨粗鬆症やO脚の変形性膝関節症の様ですが、山に柴刈りに行き、背負子に体半分ほどもある薪や柴を背負い山道を元気そうに?歩き、お婆さんは爺さんのフンドシか自分の腰巻か知りませんがたくさんの洗濯物を抱えて川に洗濯に行きます。
変な事に疑問を持つ子供時代の私は「爺さん婆さんが柴刈りと洗濯だけでどうやって生計が成り立っているのだろう?」と不思議に思っていました。母親に質問しましたが、「そんな下らない事を考えず、さっさとドリルを済ませなさい」と取り合ってくれませんでした。
老夫婦に桃太郎が登場するまで養ってくれる子供がいた話はありませんし昔々は国民年金もありません。鴨捕り権平爺さんならとらえた鴨で鴨鍋でもつつき、鳥肉屋に売れば結構な現金収入です。花咲爺さんは裏の畑があったようですから野菜作りで生計を立てて、意外にも小判がザクザク出る前から隣の爺さんがうらやむほど小銭をため込んでいたかもしれません。笠地蔵の爺さんは行商で笠を売って日銭を稼いでいた様ですが、桃太郎の爺さん婆さんは生活費を稼いでいる気配がないのです。果たして食っていけたのでしょうか?
川で洗濯の場合、電気代タダ、水道代タダ,洗剤料タダで、山で柴刈りの場合、伐採権利料タダ、運搬料タダ、持って帰った薪や柴で燃料費タダという事で出費なしの超エコ生活ですが薪を売っても収入は知れています。当然生活を切り詰めカツカツ状態が予測されます。
食事は桃太郎に持たせてやったキビ団子はともかく稗,粟、麦などの雑穀雑炊に菜っ葉を浮かべたような粗末なものだったことが推測されますが、当時平均寿命が50歳未満の時代にどう見ても70~80歳の元気老人風なのが気になります。またこの老夫婦は「どうか良い子供が授かりますように。」と日々神仏に祈り、子作りに励んでいたフシがあり、相当な精力絶倫老年夫婦だったことが想像されますが、低たんぱく、低脂肪の粗末な食事の日々ではバイアグラもない時代に到底「医学的にあり得ない」話です。私は物語に隠された老夫婦の食生活があったのでないかと推論しました。即ち爺さんは山に柴刈りに行っただけでなくキジを捕りにいったのではないのかとにらんでいます。なぜならキジは古来より薬草やキノコ等の活性菌を食べている事から長寿の肉とされていたのです。また婆さんは洗濯の傍ら爺さんのフンドシを網代わりにして川魚をすくって捕りカルシウム一杯の食用にし、これらの肉を蛋白源や各種ミネラルとして超元気な生活を送っていたのではないかと考察します。(キビ団子の成分分析は現在調査中です。)
桃太郎が子分にして連れていったキジはたまたま生け捕りにして元気のよかったのをお供にさせたのでしょう。犬とサルに関してはこの際触れずにおきましょう。
「何時までもあると思うな親と金」という諺がありますが、益々高齢化が進む我が国の将来は「何時までもあると思うな年金・福祉」という事になります。
これからの高齢者は社会からの与えられた支援に満足する事なく、コマーシャルに乗せられて安易は健康食品の摂取で事足れたと思わず、馬鹿テレビで無駄な時間を過ごさず出来る限り体を動かし、質素な生活でも良いから桃太郎の爺さん婆さんを見習って鬼退治の気概を持って挑戦的に生活しなければいけないと思っています。
この民俗学、栄養学に基ずき格調高く考察された『学説』が日本昔話学会(そのなものがあれば)並びに国の福祉行政に一石を投じる事を願っております。
とっぴんぱらりのぷう
理事長 弘岡泰正
お一人で住んでいる所謂独協老人が増えています。我が国では年間所得が120万円未満の65歳以上の一人暮らしの人が3割を占め、ゆとりある老後には程遠い現状です。肉体的にも足腰の老化によって歩行が困難になって家に閉じこもり、社会参加が出来ずにいるこれら多くの高齢者に対して日常生活の支援は国の重大な課題となっています。しかしながら食料・医療事情が現在からみると格段に貧弱で国家の福祉厚生行政がなかった大昔のお年寄りは果たしてどのように生活していたのでしょうか?
子供の頃、♪村の渡しの船頭さんは今年60のお爺さん,歳はとってもお舟を漕ぐときは
という童謡を何の不思議もなく歌っていましたが自分が還暦を迎えた時は、何で60が爺さんじゃ!100歳を超えた現役医者もおるというのにふざけるな!俺ならギッチラ・ギッチラじゃなくてシャッシャカ・シャッシャカ櫓を漕ぐわいと憤慨しましたが、残念ながら年月が経つにつれ心身の衰えを自覚するようになりました。
ところで日本の昔話には里山に二人きりで住んでいる「おじいさん・おばあさん」の話がいっぱい出てきますが、ほとんどの物語で主役級の活躍です。絵本で見たお爺さんとお婆さんはどう見ても後期高齢者で腰が曲がり骨粗鬆症やO脚の変形性膝関節症の様ですが、山に柴刈りに行き、背負子に体半分ほどもある薪や柴を背負い山道を元気そうに?歩き、お婆さんは爺さんのフンドシか自分の腰巻か知りませんがたくさんの洗濯物を抱えて川に洗濯に行きます。
変な事に疑問を持つ子供時代の私は「爺さん婆さんが柴刈りと洗濯だけでどうやって生計が成り立っているのだろう?」と不思議に思っていました。母親に質問しましたが、「そんな下らない事を考えず、さっさとドリルを済ませなさい」と取り合ってくれませんでした。
老夫婦に桃太郎が登場するまで養ってくれる子供がいた話はありませんし昔々は国民年金もありません。鴨捕り権平爺さんならとらえた鴨で鴨鍋でもつつき、鳥肉屋に売れば結構な現金収入です。花咲爺さんは裏の畑があったようですから野菜作りで生計を立てて、意外にも小判がザクザク出る前から隣の爺さんがうらやむほど小銭をため込んでいたかもしれません。笠地蔵の爺さんは行商で笠を売って日銭を稼いでいた様ですが、桃太郎の爺さん婆さんは生活費を稼いでいる気配がないのです。果たして食っていけたのでしょうか?
川で洗濯の場合、電気代タダ、水道代タダ,洗剤料タダで、山で柴刈りの場合、伐採権利料タダ、運搬料タダ、持って帰った薪や柴で燃料費タダという事で出費なしの超エコ生活ですが薪を売っても収入は知れています。当然生活を切り詰めカツカツ状態が予測されます。
食事は桃太郎に持たせてやったキビ団子はともかく稗,粟、麦などの雑穀雑炊に菜っ葉を浮かべたような粗末なものだったことが推測されますが、当時平均寿命が50歳未満の時代にどう見ても70~80歳の元気老人風なのが気になります。またこの老夫婦は「どうか良い子供が授かりますように。」と日々神仏に祈り、子作りに励んでいたフシがあり、相当な精力絶倫老年夫婦だったことが想像されますが、低たんぱく、低脂肪の粗末な食事の日々ではバイアグラもない時代に到底「医学的にあり得ない」話です。私は物語に隠された老夫婦の食生活があったのでないかと推論しました。即ち爺さんは山に柴刈りに行っただけでなくキジを捕りにいったのではないのかとにらんでいます。なぜならキジは古来より薬草やキノコ等の活性菌を食べている事から長寿の肉とされていたのです。また婆さんは洗濯の傍ら爺さんのフンドシを網代わりにして川魚をすくって捕りカルシウム一杯の食用にし、これらの肉を蛋白源や各種ミネラルとして超元気な生活を送っていたのではないかと考察します。(キビ団子の成分分析は現在調査中です。)
桃太郎が子分にして連れていったキジはたまたま生け捕りにして元気のよかったのをお供にさせたのでしょう。犬とサルに関してはこの際触れずにおきましょう。
「何時までもあると思うな親と金」という諺がありますが、益々高齢化が進む我が国の将来は「何時までもあると思うな年金・福祉」という事になります。
これからの高齢者は社会からの与えられた支援に満足する事なく、コマーシャルに乗せられて安易は健康食品の摂取で事足れたと思わず、馬鹿テレビで無駄な時間を過ごさず出来る限り体を動かし、質素な生活でも良いから桃太郎の爺さん婆さんを見習って鬼退治の気概を持って挑戦的に生活しなければいけないと思っています。
この民俗学、栄養学に基ずき格調高く考察された『学説』が日本昔話学会(そのなものがあれば)並びに国の福祉行政に一石を投じる事を願っております。
とっぴんぱらりのぷう
理事長 弘岡泰正